いつもの月曜日、いつもの電車。老眼鏡と向き合う、私。
皆さん、おはようございます!
テクノライズ代表の富田です。
今日も私は、いつもの通りに起きて、今、いつもの電車に座っています。
周囲には、毎朝見かけるいつもの顔ぶれ。そして、私の目の前には、私が席を立つとすかさず座る、あのお姉さまが今日も立っています。
特筆すべきことのない、いつもと変わらない月曜日の光景です。
しかし、スマホの小さな文字に目を凝らすたび、この平凡な日常の中で、ある違和感に直面します。
視界がぼやけ、ピントが合わない。つい顔から遠ざけてしまう。
そして、画面を拡大している自分に気づくのです。ああ、やはり老眼だ。
この肉体の衰えこそが、子供の頃の私が想像していた「完璧な大人像」との大きな隔たりを象徴している気がします。
👑あの日の私が夢見た「完全無欠の大人」
幼い頃、私はこの年齢になれば、当然のように「完璧な大人」になっているものだと信じていました。
悩みや迷いなど一切なく、人生の進むべき道が全て見えている無敵の精神。
そして、老いや不調とは無縁の揺るぎない肉体。すべてが完成され、決して立ち止まらない、力強く、美しい存在。
それが私の中の「大人」でした。
🚃現実:電車の中で、老いを感じている
しかし、現実はどうでしょう。私は、いつもの電車の中で老眼に悩み、老いを感じています。
ふと顔を上げると、目の前のお姉さまは、私が立つ瞬間を待っているかのように、静かに立っている。
そのルーティン化された光景を見つめながら、私は悟ります。
自分は、理想とはかけ離れた、不完全で、老いゆく一人の人間なのだ、と。。。
💡不完全な自分への、静かな肯定
完璧な大人像は、ただの幻想でした。
けれど、老いも、迷いも、全てを抱え込んだこの不完全な自分こそが、等身大の「私」なのだ、と。
老眼鏡が必要な不完全なこの両眼でも、明日への一歩を踏み出す力は持っています。
特別な出来事のない、この平凡な月曜日が、完璧ではないけれど、立ち止まらずに歩き続けた一年間。
そして、再び一歩を踏み出す新たな旅のスタートとなる。
なぜなら、今日、私の誕生日だから。

